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ア!安全快適街づくりについて

石川理事長RIVERFRONT寄稿文

スーパー堤防の建設を目指すNPO法人「ア!安全・快適街づくり」について

理事長 石川 金治

1.NPO法人「ア!安全・快適街づくり」の設立趣旨

 東京東部Om地帯は、河川の堤防・護岸が決壊すれば水深2-4mの海中になる地域である。直下型地震では発震直後に、この現象が起きるので待避猶予時間がなく、津波より大きな人的被害をもたらす。この事実を多くの人に知らせ、スーパー堤防の必要性を訴える事が目的の第一である。
 次に、スーパー堤防の盛土工事のために最低1haの区域を更地にするので、この際に、新しい街づくりを同時に行い、水辺に親しめる快適な街にすることが第二の目的である。
 最後に、東京東部低地帯を流れる大河川の堤防を全てスーパー堤防化し、平成の万里の長城を創る。
そこに、「川を友達とした生活」の出来る新しい街「BankTown」を建設する。この街を、山の手を凌ぐ「安全・快適な東京一番の街」にする事が究極の目的である。
 このような目的を持ったNPOの立ち上げに筆者を駆り立てたのは、次の経緯に述べる多くの場面で職務として携わり、今なお、スーパー堤防に愛着を持っていると同時に、この間に培ったノウハウをこの事業の推進に利用して社会貢献の一助になることを願ってのことである。


2.スーパー堤防事業の経緯

2.1スーパー堤防発想の契機となった新川西水門事故

新川は江戸時代に行徳から江戸に塩を運ぶために開削された運河で、両岸を結ぶ橋が多く架かっている。
また地盤沈下も激しい地域であるため、溢水防止のため護岸の嵩上げもしばしば行われた。これ以上の嵩上げは、橋の嵩上げが必要となり日常生活に著しく不便をもたらすため、両端に水門を造り、中川、旧江戸川の水位が高い時は水門を閉めて漏水や溢水を防ぐ構造になっている河川注1)である。
 当時、エルニーニョ現象による異常に高い潮位が数日前から続いていたので、潮位が高い時は水門を閉め、中川の水位が新川の水位より低くなったら開ける、水門の自動操作を実施していた。天体潮が満潮に近づいた昭和46年9月5日午前4時頃、水門装置に欠陥があったため突然扉が開き、中川の水が新川に流れ込み、堤防を乗り越えて浸水被害が発生した。
 水門管理員は早朝にもかかわらず、事故に気づき、僅か10分後には手動操作で水門を閉鎖した。目撃証言注2)によると護岸の上を20-30cmの水深で堤内地に流れ込み、床上浸水120戸、床下浸水600戸、被害額5千万円と言う事故が発生した。
 この事故は堤防が切れたわけではなく、護岸天端を僅か20cm程度上回った水が溢れた為に発生した浸水騒ぎである。しかも10分後には水門が閉鎖されて、浸水の原因になる中川の水は止められたのである。それにもかかわらず、床上浸水約120戸の被害である。
 もし堤防の一部が破堤したらどうなるのであろうか?溢れる水深は2-3mになり、破堤部分を応急的に止めるにも1日程度必要であろう。そうなれば、Om地域であるこの付近は、全て浸水し、この事故のように寝静まっている時刻であれば,将に「寝耳に水」であり、高潮・津波の襲来と同様の人命被害が発生した可能性は否定できない。
 このことは、Om地帯の大河川の堤防は、大地震の時でも浸水被害を起こさない構造にする事が必要であることを物語っている。

注1)東京都江東治水事務所発行「東京都江東治水事務所事業誌」平成7年 p136
注2)江戸川区発行「江戸川区史」plO33

2.2 低地防災対策委員会の発足

 本来異常潮位の時こそ活躍すべき水門が、早朝に突然ミステリー映画のように開いてしまったので、東京都はすぐに「事故調査委員会」(神谷貞吉日大教授他6名)を設け、原因を究明した。
 更に、事故の再発を防ぐだけでなく、この事故が教えてくれたOm地帯に「どのような天変地異が起ころうとも、浸水しない堤防」を造れと言う教訓を生かすため「低地防災対策委員会」(委員長伊藤剛)を引き続き発足させた。
 この委員会は、「Om地帯を高潮被害から守るために緊急に造られた何百キロにも及ぶ直立擁璧型の護岸が、過去の地震被害から大地震の時に、1カ所も転倒しないと言う保証はできない。また、土堰堤も地盤の液状化により沈下被害が発生する。しかし、土堰堤が無くなることはないので、地震時の浸水を防ぐことは出来る。」という結論を出した。
 淡路・阪神地震による高速道路の橋脚転倒例を見れば、答申の妥当性や先見性が分かる。
 一方、この頃(昭和48年)になると、高潮の脅威からは免れたが、江戸の町人が大川に親しみ、感じていた「風情・情緒」と言った心象の世界を過去の追憶に押しやっていることに対する反省の声が出てきた。地盤の高さと川の水面の高さを江戸時代と同じにすれば、この心象の世界を取り戻す事が出来る。
その為には、堤防近くの地盤を地盤沈下する前の高さに戻せばよいことに気づいた。
 安全と親水という二つの条件を同時に満たす河川施設として、緩い勾配を持った水に近づける堤防、即ち幅の広い緩傾斜型堤防が最も相応しい河川施設であると答申された。
 緩傾斜型堤防の実現には、堤防沿いの民地を幅広く盛土する必要があり、沿川住民の協力が不可欠である。その協力を得る第一陣として、倉庫としての利用が停滞し、早晩撤退が予想された倉庫業者を対象に、その趣旨を説明した。しかし、河川の環境が江戸時代のようになれば、再開発後の床価格が高くなるということに気づく人はいなくて、協力は得られなかった。そこで、隅田川沿いの区長に対して答申の趣旨を説明し、協力を要請した。

2.3 緩傾斜型堤防の見本の完成

 低地防答申から1年たった昭和50年(1975)4月に初当選した内山台東区長は、隅田川に「風情・情緒」の心象風景を取り戻すことに熱心であった。昭和50年3月、隅田公園が東京都から区に移管されたのを契機に対岸の墨田区と協力して、「夢の架け橋」である園と園を結ぶ人道Ⅹ橋(桜橋)を架ける計画を立てた。
 この橋には「親水機能の回復を図った緩傾斜型堤防、さらには水辺へのテラス」へと注3)大きな夢が託されていた。その為、橋梁の取り付け部分(60mX4=240m)を工費10億円注4)を掛けて緩傾斜型堤防の見本を造った。これを造るに当たり、昭和54年12月に「新墨堤研究会」が発足し、その意を受けて「隅田川堤防問題研究調査委員会」が翌55年5月に発足した。
更に構造を検討するため・、「都市河川堤防(隅田川)構造技術研究委員会」が同年11月に発足した。
 これらの委員会で、緩傾斜型堤防築造に伴う構造的諸問題の解決策を見いだした。即ち、堤防の地震時の安定のため、前面に捨て石による抑え盛土の必要幅及びそれを支えるための地盤改良の幅と深さ、並びに洪水疎通能力維持のために必要な川の深さ等を概略計算した。
 橋台取り付け部、僅か240mの緩傾斜型堤防であるが、関係者の理解を得るために必要な緩傾斜型堤防に関する技術的諸問題をあらゆる角度から検討し、実現の可能性を都民に示した見本としての価値は極めて高いものであった。

注3)台東区・墨田区発行 パンフレット「桜橋」昭和60年
   (1985)
注4)東京都建設局河川部計画課「現地説明参考資料」
   手書き原稿 昭和62年(1987)

 

2.4 白鬚西地区防災拠点と緩傾斜型堤防

 昭和44年(1969)11月、東京都策定の江東再開発基本構想の意を受けて設置された建設大臣の諮問機関、江東防災総合委員会(高山英華委員長)が提案した6防災拠点の一つである白髪西地区の再開発素案が昭和48年(1973)11月に発表された。
 この時期は低地防災対策委員会で緩傾斜型堤防に関して議論している最中であったため、この素案には隅田川の緩傾斜型堤防計画は織り込まれていなかった。一方、発表された素案に対しては地元から種々の意見が出されていたので、素案の見直しが49年から始まった。緩傾斜型堤防もこの見直し計画の中に取り入れられることになり、低地防災対策委員会で答申された「緩傾斜型堤防」が、ここで初めて東京都の庁内で認知された。
 昭和58年(1983)3月、白鬚の再開発計画の一部として、緩傾斜型堤防が都市計画決定された。これが記念すべき都市計画決定第1号である。

2.5 大川端地区整備計画と緩傾斜型堤防

 昭和47年に中央区再開発審議会が「中央区再開発基本構想」を答申し、「大川端作戦」が提唱された。
低地防災委員会の答申が出た昭和49年頃は未だこの基本構想の中で、隅田川は重要な位置を占めていなかった。台東区などが進めていた桜橋の建設に伴い設置された「新墨堤研究会」など一連の答申から、開発者は大川端の街づくりに隅田川は欠かせない都市施設であるという認識を持つようになった。一方、河川管理者である東京都建設局は、緩傾斜型堤防をこの都市計画に入れるよう、大川端の都市計画決定手続き上の管理者協議に際して要望した。
 意見の一致を見た両者は、この地区の緩傾斜型堤防を「都市河川総合整備事業」として国の補助を得て行うこととして、昭和57年(1982)年2月建設大臣の認可を得た。但し、緩傾斜型堤防建設により土地利用が増進することに鑑み、用地費に関して東京都が負担する国庫補助との差額7/10については、開発者が負担することにした。(その後、隅田川の他の開発についてもこの考え方は引き継がれており、原則として堤防を緩い勾配にするために必要な用地を東京都に対しては開発者が無償で提供している)そして、昭和59年(1984)3月緩傾斜型堤防を含めた「特定市街地総合整備計画」が都市計画決定された。
 これは、白鬚西地区の都市計画決定に次ぐ2番目の決定であるが、本格的な実施事例としてはトップである。実施に当たっては、川表側を緩傾斜にするだけでなく堤防背面を堤防と同じ高さまで盛土して、いわゆる「スーパー堤防」にした。東京都は、「川を中心に据えた街づくり」の効果をP・Rするため、次の事業を行った。
 東京・パリ両都市は、昭和57年(1982)友好都市協定を結んだ。この事業の一環として昭和62年(1987)パリ市を訪れていた行政視察副団長石川河川部長の発案で開始された隅田川・セーヌ川の友好河川提携が平成元年(1989)に調印された。この記念式典が、大川端整備事業で造られたスーパー堤防のテラス上で開催され、隅田川河畔に鈴木知事・シラク市長の両雄によりマロニエが記念植樹された。  また、大川端と都心を結ぶ中央大橋がこの事業で建設され、その橋台上に友好河川提携記念事業として、パリ市から贈られたオシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」が飾られている。これと同じ彫像がパリ市内のセーヌ河畔にも設置されている。なお、高層ビル群に囲まれたこの地域が、縦の直線の目立つ単調な区域になることが予想されたので、この中央大橋の橋梁形式として、サイドからの景観を重視した隅田川では初めてのA型の斜張橋が採用された。

2.6 緩傾斜型堤防・スーパー堤防の流行

 月島・大川端地区で、緩傾斜型堤防の親水機能が街づくりに欠かせないことが分かったので,対岸(隅田川の都心側)の倉庫業者など大規模地権者は、社有地の再開発に当たり緩傾斜型堤防を競って取り入れた。
 同じ頃行われた聖路加病院の改築でも、親水機能を生かした公園や堤防が一体的に整備された。
 また、隅田川左岸上流に在ったアサヒビール工場跡地には住宅都市整備公団(当時)の開発と墨田区の新庁舎が計画されたが、ここでは、スーパー堤防の他に堤防に沿って走る幹線道路を地中に埋めて、開発された街区とスーパー堤防やテラスとの一体的利用性を高める工夫がなされた。
 この流れはその後も勝鬨・明石、上流では豊島団地・神谷・三河島などで引き継がれ、隅田川の堤防延長の42%に当たる地域で計画され、その約9kmが完成している。その概要は表-1の通りであり、隅田川沿川で再開発が行われる場合は、スーパー堤防が同時に計画される流れは走者した。しかし、戸建て住宅が密集し、再開発が困難な地区は一向に進まず、この対策が今後の課題である。

表-1 隅田川スーパー堤防等整備計画

種  別 箇所数 全体規模 13年度未完成 残事業 備  考
完成箇所 10 2.6km 2.6km Okm  
施行箇所 22 13.8 6.3 7.5  
計画箇所 11 3.1 0 3.1 内2.2kmは
その他1箇所とした
43 19.5 8.9 10.6  
隅田川計 46.9km 42% 8.9/46.9
=19%
23% 堤防全長に
対する割合

なお、事業開始した昭和55年度(1980)から平成13年度(2001)までに要した上表の経費は決算額で約1088億円である。

3.NPO「ア!安全・快適街づくり」の設立

3.1運動主体の形式(任意団体と法人)

 スーパー堤防事業はこれまで、沿川で再開発が実施される時、手戻りが生じないように、後からその計画に織り込む形で実施する事が原則で、スーパー堤防の緊急性を加味した実施計画はなかった。その ため、直下型地震で破堤した時最も危険なOm地帯でのスーパー堤防事業が遅れている。
 この地域のスーパー堤防事業を進めるには、隅田川の進捗状況から判るように、再開発機運の薄い戸建て連坦地域の人達が、街づくりに自主的に参加する手法を見い出すことが必要である。
 この間題を解決するため、次の2項を当面の活動目標にした。

1.スーパー堤防緊急整備地域確立運動
2.戸建て連坦沿川地域の新しい街づくり手法の研究
地元の人達の信頼を得て、このような運動を進めるためには、任意団体よりは社会的責任の重い法人として活動する方がベターと判断した。

3.2 特定非営利活動法人「ア!安全・快適街づくり」設立

1.平成14年1月23日 特定非営利活動法人の設  立準備会の発足
  河川事業、街づくり、法律、地元事情などに  詳しくボランティア精神の旺盛な人(約10名)が集まり、定款作りと発起人の依頼を行った。
  定款、予算、法人設立申請など初体験であったが、世田谷区が実施しているNPO設立支援講座が大変役に立った。
  発起人には各界代表に入って戴いた。その中から、理事、評議員を依頼した。
2.平成14年5月10日 設立総会
3.平成14年5月13日 特定非営利活動法人の認可申請
4.平成14年8月30日 許可通知
5.平成14年9月13日 法人登記完了

準備会発足後8ヶ月で法人設立に至ったことは、ボランティアの熱意もさることながら、運動目的に対する熱心な共感者の支援の賜物である。

4.活動状況

 設立後、現在までに川づくり勉強会、イベント活動、官公庁への要請活動、まちづくり勉強会などの活発な活動を行っている。

4.1川づくり勉強会

 河川管理者等から説明を受けながら、スーパー堤防の施工中・施工済の箇所等を見学する、川づくり勉強会を実施している。主な実施例は、表-2の通りである。

表-2 川づくり勉強会の実施例

日時 見学地 参加者
H14.10.9 荒川・隅田川の沿川 見学 東京大学学生等約30名
H15.4.17 「パークシティ市川」 見学会 当NPO会員及び 地元有志等約40名
H15.8.5 西新小岩地区居住者 有志見学会 約25名
H15.10.16 「市川・妙典地区」 見学会 西新小岩モデル地域の有志 、当NPO会員等約30名

参加された方からは、「スーパー堤防の必要性を痛感した」「安全な新しい街づくりの参考になった」等の意見・感想があった。

写真-1 西新小岩地区居住者有志見学会の様子

写真-1 西新小岩地区居住者有志見学会の様子

4.2 イベント活動

 シンポジウム等のイベントヘの参加や、シンポジウムの共催などを行っている。
4.2.1H14.10.12江戸川区主催「全国河川サミットin 江戸川」でパネル展示 このサミットは河川名を市区町村名にしている首長が毎年、河川をテーマとして語り合う会で、この年のテーマは「暮らしにとけ込むにぎわいの川一都市の中の川を考える-」であり、渡辺関東地方整備局長・多田江戸川区長・小峰東京都建設局長など来賓の方々や地元江戸川区の大勢の方が来場された。
 当NPOは荒川以東の低地帯に関する各種のパネルやビデオを上映した。
「カスリン台風の3日後に生まれたので、助産婦さんと連絡が取れないし、来てもらうのも大変だったと親に聞かされていたが、当時の新聞やビデオを見て改めて親の「大変さ」の意味が分かった。」、「台風の時など利根川の上流で水害が発生しているというニュースを聞くが、今まで人ごとと思っていた。利根川の東京側の堤防が切れるとこの辺も安穏としておれないことが分かった。」等の地元の方の感想があった。

 

4.2.2
H14.11.1 東京都建設局主催シンポジウム「21世紀の東京の河川のあり方
        「NPOとの連携のあり方を考える」に参加

第1部は増沢会員から当NPOの設立趣旨や活動の目指す方向について報告があった。
第2部は守田芝浦工業大学教授をコーディネーターに迎え、河川に関わるNPO等5団体の代表がパネラーとなって、「市民がイニシアティブを取って進めた、河川行政の実例や、今後の連携の方法」について熱い議論がなされた。会場からも、建設的な意見が多数出された。

4.2.3
H15.11.5シンポジウム「荒川・中川等の沿川を東京一番の街に
       -スーパー堤防と街づくり-」を葛飾区と共催

 葛飾区長から「スーパー堤防と街づくり計画は、葛飾区都市計画マスタープランと合致しており、このシンポジウムを契機にこの計画に対して、市民の関心が高まることを期待する」と言う挨拶があった。
 続いて作家の青山前副知事から「川と街の江戸・東京史」と題して基調講演があり、「戦前には荒川放水路を造り、戦後は地盤沈下により低地帯になった地域に対して防潮堤防と雨水を排除するポンプ場を建設し、日常的な水害は無くなった。しかし、豊堤に代表される江戸の水辺文化を犠牲にした。また、日常水害はなくなったとは言え、地震水害には弱い地域なので、この両方を一気に解決するスーパー堤防の実現を望む」と結ばれた。
 シンポジウムでは河川の専門家として泊国土交通省荒川河川事務所長、街づくりの専門家として成戸東京都都市計画審議会会長代理(前東京都技監・都市計画局長)、新しい住まい方を提案し、その実施指導をしている小谷部日本女子大学教授、地元葛飾区の振興を考えている実業家として信川東京商工会議所葛飾支部長、それぞれが自分の専門的立場から「スーパー堤防の建設を、街づくりの契機にして、この地域を東京一番の街にする」方策を述べた。
 これに対して会場からは多くの現実的な質問があり、各パネラー及びコーディネーターを務めた当NPO石川理事長から、適切なあるいは苦心の回答があった。
 最後に地元代表として特に発言を求めた信川氏は「残り物には福があるという例えがあるが、スーパー堤防の完成箇所を見て、これは早く造った方が勝ちだと思った。葛飾区のみなさん、早期建設に向けて協力しよう」と呼びかけた。

シンポジウムの様子

写真-2 シンポジウムの様子

4.3 官公庁等への要請活動

 表-3にあるように、江戸川区長、東京都副知事、国土交通省河川局長に対して、それぞれスーパー堤 防の事業の必要性やその推進等についての要請活動を行っている。

表-3 官公庁等への要請活動

日時 要 請 先
H14.10.10 多田江戸川区長
H14.11.26 青山東京都副知事
H15.8.22 清治国土交通省河川局長
4.4 街づくり勉強会

 平成14年7月3日、スーパー堤防と戸建て住宅の多い地区の街づくりを同時に進める手法を研究するため都・区・当NPOの3者で「街づくり勉強会」を発足させ、次の2点をメンバーの共通認識とし、座 長に成戸前東京都技監・都市計画局長を選んだ。
a.Om地域には地震時水害特に人命救助の観点からスーパー堤防が必要あること
b.川を都市計画め中心に据えた街づくりが、21世紀に相応しい街づくりであり、スーパー堤防
 事業は、川を中心にした新しい街づくりを進める契機となること
 平成15年6月までの1年間に7回の勉強会を行い、平井七丁目区画整理事業、パークシティー市川、"コレクティブ・ハウジング''、芝三丁目開発、六本木開発といった先進事例について研究し、メンバー の知識の平準化に務めた。
 それ以降の勉強会は、葛飾区西新小岩地区をモデル地域に選定し、スーパー堤防と街づくりの同時施行の実現性、問題点の抽出を実施している。

本文は雑誌「RIVERFRONT 2004 VOL.49」(財団法人リバーフロント整備センター発行)に登載されたものを一部修正したものです。

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