| ■ 徳倉眞治副理事長のよこがお | |
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昭和34年慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱商事に入社しましたが、昭和39年、28歳の時、葛飾区西新小岩に大正14年セルロイド生地製造業を始めた大成化工鰍フ立直しのため移ってきました。 以後この地を拠点として、都外への工場移転を進めながら事業展開をしてきました。石川理事長との話の中で、将来予想される工場跡地が永年お世話になった地域の街づくりに役立てたらとの思いを持つようになりました。 また平成4年に設立したTIJ日本語研修所(新小岩)の仕事を通じ、国際友好と地球社会への貢献を目指して活動しています。 大成化工椛纒\取締役社長 |
| ■ 副理事長に聞く 第3回(平成19年5月) |
地域住民による自助・共助の体制づくり
(編集)昨年9月1日のNHKの特集番組で、「海抜0メートル地帯における地震水害」という
タイトルで、当NPOの活動もからめて報道されましたね。
(徳倉)当NPOの出番は少なかったのですが、町会の人が主役になって地元の関心の高まりが
よくわかる内容でしたのでよかったですね。
(編集)大地震と高潮が重なった場合には、東京の河川護岸に液状化現象により損壊が生じ、東
部低地帯に侵水する可能性があると報道されました。東京都は、国内で過去最大の被害
が生じた伊勢湾台風の高潮や東海豪雨の降水量を想定し、さらに阪神淡路大震災を踏ま
えた耐震基準で防潮堤や河川護岸の整備を進め、10年程度後に完成する予定です。こ
のため、「この報道は、徒(いたずら)に地域住民の不安を掻き立てるものだ」という
見方もあるようですが。
(徳倉)東京都は、想定される災害に対しては、最大限の対応をしてきています。しかし、地震
による液状化現象の恐れがあるといわれる、荒川以東のゼロメートル地帯(スーパー堤
防未整備)では、想定外の事態により洪水によらず堤防が決壊し、地震水害が起こるこ
とが想定されます。これに対応するために、少なくとも人命の被害が生じないような対
策を立てておくことは必要だと思っています。
(編集)どんな対策が考えられますか。
(徳倉)新小岩地域では、住民の自助・共助により近所の3階建以上の建物を緊急避難場所とし
て確保し、救助・救援基地との連絡がとれる体制を作ることが必要です。このためにも
新小岩公園の高台化を急ぐべきだと思います。当面は緊急避難の方法等を中心にして、
地元の住民がワークショップで論議しています。
(編集)地元の皆さんが大勢参加されましたね。
(徳倉)そうですね。次のワークショップが待ちどうしいといった声が出るくらいに、地元の皆
さんが熱心に取り組んでいます。
(編集)ゴムボートと救命胴着を大成化工さんから寄付されるそうですね。
(徳倉)東西新小岩の7町会に3隻ずつのゴムボートと1隻当り4着ずつの救命胴着をワークシ
ヨップ終了時に寄付することを提案しました。緊急避難場所と救助・救援場所とを往復
するためのものです。これを住民に保管していただき、水上訓練を行うと共に、水辺に
親しむことにも役立てていただきたいと思います。
(編集)ワークショップでは、引き続き具体的な課題が論議され、新たな活動に取り組む契機に
るでしょうね。
(徳倉)今後地元の人が積極的に問題提起や提案をされることを期待しております。
(編集)副理事長も「東京都地域防災計画」に対する意見募集に応じて「新小岩公園の高台化」
を19年2月に提案されましたね。
(徳倉)新小岩公園を高台化して、救助・救援基地化することは緊急性と必要性が高いと思いま
す。私も街づくりのNPOの立ち上げに係わった地元の一人として自ら行動しなければ
と思い、徳倉私案として提案しました。
(編集)東京都総務局総合防災部には、どんな内容で提案されたんですか。
(徳倉)「荒川以東の東部低地帯に住む120万都民の命を水害から守る」ために7項目の実施
が必要だと主張しました。
1.水位表示板の設置
2.水没しない建物の確認
3.近隣住民による避難の合意形成
4.ゴムボート・ライフジャケットの配備
5.水没しない高台(救助救援基地)確保
6.避難建物から高台への自助・共助活動
7.住民の要望に基づくスーパー堤防建設
(堤防決壊防止と避難場所の増加)
(編集)今後の当NPOの活動を考える上で大変実際的で、重要な提案ですね。
(徳倉)ワークショップの論議が更に発展すれば、たたき台として活用されると思います。
(編集)当NPOの中心メンバーである伊東春海さんも「利根川水系河川整備計画の策定に係る
公聴会」(本年2月開催)の公述人として出席され、スーパー堤防を構築するよう要望
しましたね。
(徳倉)同様な動きが続くことを期待しています。
(編集)今後ますます副理事長の役割が重くなりますね。有難うございました。
| ■ 副理事長に聞く 第2回(平成15年10月) |
新小岩の街づくり
(編集)徳倉さんが、新小岩に来られたのは、どういう経緯ですか。
(徳倉)大成化工は大正14年、セルロイドの生地を生産するために設立されたのですが、昭和
38年、セルロイドの衰退で会社が経営危機に陥りました。この時、私は28歳でした
が、経営の建て直しを頼まれ、三菱商事を辞めて新小岩に来ました。
(編集)どのように会社の再建を進めたのですか。
(徳倉)燃えやすいので、しょっちゅう火事を出していたセルロイド生地の生産は、中止しまし
た。また、当時からこの辺りは、住宅が建て込み始めておりましたので、工場を継続す
るのは難しいと判断し、生産設備を移転することにしました。成田や旭の工業団地や中
国の北京等に工場を建設していきました。この結果、この新小岩に残ったのは、事務所、
研究所、中間試験工場だけになりました。
(編集)どのような動機で、新小岩の街づくりを考え始めたのですか。
(徳倉)大成化工は、80年近くに渉り、新小岩で事業をやらせていただいております。他の地
域で工場の建設を進める中で、この新小岩の土地を、今後どうしたら、お世話になった
地元にお役に立てるのか考え始めました。数年前、都には「新小岩駅周辺地区(生活中心
モデル地区)育成整備計画」があるが、その構想の中に盛り込まれている「スーパー堤防」
は、私の高校時代の同級生の石川さんの発案になるものだということ等が分りました。
その後葛飾区、江戸川区を始め、東京都の都市計画を調査・研究してきました。
(編集)現場もいろいろ見に歩かれたのですね。
(徳倉)石川さんに会い、隅田川のスーパー堤防を見学し、新しい街づくりが進んでいることを
知りました。それに引き換え、荒川・中川と江戸川に囲まれた0メートル地帯は、地震
で今の堤防の一部でも決壊すれば、木造密集住宅は水没するという危険な状況にあるこ
とがわかりました。
(編集)徳倉さんと石川さんは、高校時代に大水害を体験されてるそうですね。
(徳倉)そうです。昭和28年に愛知県一色町で台風による大水害を経験しました。洪水の恐ろ
しさ、洪水後の悲惨さは、経験したものでなければわからないと思います。石川さんが
あれだけスーパー堤防の建設に情熱をかけるのも、この原体験がトラウマになっている
のかもしれません。
(編集)新小岩の街づくりについて、基本的にどのように考えていますか。
(徳倉)この地域は水害の危険という大きな問題を抱えていますが、半面、東京駅から僅か15
分、水辺を活かせば他にない素晴らしい地域になります。この水没の危機を未然に防ぎ、
住民参加の新しい街づくりを行えないかという想いから石川さんと共にこのNPOを立
ち上げることにしたのです。
(編集)NPOも設立後1年余が経過し、これから住民の皆さんの理解を深めていこうとしてい
ますが、具体的には今後どのように取り組むべきですか。
(徳倉)住民の皆さんが肌で感じ、自ら動き出すような活動をしていくことが重要です。そのた
めには、この地域は大地震があれば大変危険な状況にあることを、まず住民の皆さんが
認識していただくことです。つぎに、どうすればそれを回避できるのかを具体的な絵で
示す必要があります。その絵に対して論議を重ねながら、いろいろな問題点を明確にし、
これを一つ一つつぶしていくことです。行政も予算が乏しいので、住民側からこうして
ほしいという要望が出ることで、初めて手をつけようということになります。このきっ
かけ作りと橋渡しの役割を果たすのが当NPOの役割だと思っています。
(編集)今日は、大変ありがとうございました。
| ■ 副理事長に聞く 第1回(平成15年7月) |
NPO設立の経緯と役割
(編集)最初に、このNPOの設立を考えたいきさつを教えてください。
(徳倉)大成化工は1926年にセルロイドの生地を生産するために現在の中川堤防沿いの地に
設立されたのですが、御承知のようにセルロイド生地は燃えやすいため、しょっちゅう
火事を出して御近所に迷惑をかけてきました。私が昭和38年にセルロイドの衰退で経
営危機におちいっていたこの会社の経営建て直しのため移ってきた当時でもよく火事を
出し、消防自動車の音を聞くとまた大成さんが火事かといわれたものでした。その後セ
ルロイドの生産も中止し、火事で御迷惑をかけることはなくなっています。
その当時からこの辺りは住宅が立て混み始めたため、この地での工場継続は将来難しい
と判断し、生産設備を基本的に移転することにしました。国内では千葉県の成田、旭の
工場団地に工場を建設し、干潟工場団地内にも土地を手当てすると共に、海外では中国
北京に工場を建設して生産を始めました。その結果この土地に残ったのは事務所、研究
所、中間試験工場だけになったのですが、80年近くにわたりお世話になったこの新小
岩の土地を今後どうしたら地元のお役に立てられるのか考え始めました。
数年前、手始めに地元の不動産関係の方にお話を聞きに伺ったところ、都には「新小岩
駅周辺地区(生活中心モデル地区)育成整備計画」があるが、なかなか進展していない
その構想の中に盛り込まれているスーパー堤防は私の高校時代の同級生の石川さんの発
こと、案になるものだということがわかりました。更に不動産屋さんからは言いにくい
ことだが、言っても良いかと念を押された上で、「大成化工の工場がなくなれば、新小
岩北口全体の価値が上がる」といわれました。
そんな目で見られていたのかと愕然として当時汚かった新小岩の工場も整備し、きれい
にすると共に都市計画にも関心を持ち、葛飾区、江戸川区をはじめ隣接する自治体及び
東京都の都市計画を調査・研究してきました。ところが東京都の「東京構想2000」
の中では区部東部・北部の将来像として「うるおいのある豊かな水辺を背景に、住と工
の織り成す活力溢れる空間」と書いてあるだけで、まとまったものがないように感じま
した。
一方、石川さんと会って彼が東京都建設局長として既に進めてきた隅田川沿いのスーパ
ー堤防を見学し、防災と共に新しい街づくりが進んでいることを知りました。ひきかえ、
新小岩全域を含む、荒川・中川と江戸川に囲まれたこの海抜0m地帯はいまだスーパー
堤防も無く、しかも地盤沈下により海抜マイナス2mといったところもあり、一朝地震
等で今の堤防の一部でも決壊すれば木造密集住宅は全てが水没するという危険な状況に
あること、反面この地は東京駅から僅か15分、水辺を生かせば他にない素晴らしい地
域になることにも気づきました。この水没の危機を未然に防ぎ、住民参加の新しい街づ
くりを行なえないかという思いから石川さんと共にこのNPOを立ち上げることにした
のです。
(編集)加えてお二人が共通に持つ高校時代の原体験が水害を防ぎ、街づくりを進めることをテ
ーマとした本NPOの設立のひきがねともなったわけですね。
(徳倉)そうです。昭和28年に愛知県一色町で経験した台風による大水害が原体験となってい
ます。洪水の恐ろしさ、洪水後の悲惨さは経験したものでないとわからないと思います。
石川さんがあれだけスーパー堤防の建設に情熱をかけたのもこの原体験がトラウマにな
っているのかもしれません。
ただ荒川左岸、江戸川右岸にスーパー堤防を作り、その上に新しい街をつくるにあたっ
ては近視眼的にこの地域だけを見るのではなく、千葉から横浜に至る東京湾岸で今進ん
でいる多くの開発状況を踏まえたうえで、120万都民が生活している東京のへそとも
いうべきこの地域が今もっている財産を生かした街を創っていくためにはどうしたらよ
いのかを考え、全体構想をまず固める必要があるでしょう。それに沿って住民の皆さん
の合意を得られたところから、スーパー堤防の建設と個々の街づくりを進めていくこと
が大切だと思います。
(編集)しかし一般の住民からすると、まずマイナス2m地帯に住んでいるという危機意識が乏
しい上に、仮に危機的状況にあることを認識し、その解決策としてスーパー堤防を建設
し、そのうえに新しい街づくりをすることが望ましいと理解しても、そうするためには
どうしたらよいのか、何から取りかかったらよいのか解らないのではないでしょうか。
NPOも設立されて1年余が経過し、これからシンポジュウムなどで住民の皆さんの理
解を深めていこうとしているようですが、具体的には今後どう取り組もうとしているの
ですか。
(徳倉)このような運動が成功するためには住民の皆さんがこうすれば自分達のプラスになると
いうことを肌で感じ、自ら動き出していただくことが重要です。そのためには、この地
域は大地震や洪水などがあれば大変危険な状況にあることをまず認識していただき、ど
うすればそれを回避できるかということを絵で示す必要があります。その絵を提示する
と必ずこんな問題がある、あんな問題があるといった多くの反対意見が出てきます。こ
れを一つ一つ、つぶしていくことで残る問題は何かが鮮明になります。
例えば、まずこの地は地震などで堤防が切れると水没するのか、それを防ぐためにスー
パー堤防を建設すると今ある家はどうなるのか、一時移転するとして移転の際の保証は
どうなのか、完成後もとの所に戻れるのか、戻っても元通りの家に住めるのか、元通り
の居住形態にならない場合、今までと同質の快適生活を楽しむことが出来るのか等々多
くの問題が提起されます。これ等にNPOとしてきっちり答えを出して示すことが必要
でしょう。
本来これは行政の行なう仕事ですが、行政がやるとすぐにやってくれるのかということ
になる。しかし予算が無いからすぐには実施できない。しかしながら住んでいる人から
こうしてほしいという要望が出ることで、初めて行政も出来るところから手をつけよう
ということになる。このきっかけ作りと橋渡しの役割を果たすのが本NPOの役割だと
思っています。
(編集)まだまだ伺いたいことがありますが、別の機会に伺いたいと思います。本日は有難うご
ざいました。