広域ゼロメートル市街地の抱える浸水リスクを知ろう! ~浸水~

東部低地帯とスーパー堤防

スーパー堤防はなぜ必要?

ここでは、東京東部、特に荒川以東の低地帯になぜスーパー堤防が必要なのか説明します。

■ 0メートル地帯と地震水害

0m地帯とは?

 海水は月の引力により満潮になったり、干潮になったりする。潮干狩りが始まる3月のお彼岸頃の干・満潮位が1年の最大値で、干潮時には遠くまで砂浜になるのでアサリ採りに行く人が多い。

 この干潮時の海水面の高さが、荒川の水位を図る基準高さの0m(これを専門用語でA.P±0mという)とほぼ同じ高さである。

地盤高がA.P±0mより低いところに住んでいる人は、堤防がなければ何時も海水の中で生活していることになる。

 また、東京湾の満潮時の海水面の高さは干潮時より約2m高い。従って、地盤の高さがA.P±0mからA.P+2mの範囲に住んでいる人は、1年の内大半の時間は海水の中で生活し、干潮になると陸地になり自由に走り回れる蟹さんのような生活をしていることになる。

0m地帯とは地盤高がA.P±0m前後の地域一帯を表す言葉である。この地域に住む人は堤防がなければ住んでいられないことを認識している必要がある。このことを認識していれば、一旦事があったときの避難活動に素早く対応でき、被害を最小限に食い止めることが出来る。

0m地帯を守る堤防や護岸は大地震が来ても壊れないように造られていると聞きますが?

 その通りです。東京湾に注ぐ河川の堤防・護岸は、関東大地震にも耐えられるように設計されている。そのように設計しても阪神大震災では、高速道路が転倒した。自然現象は人智の及ばない部分があり、想像できない被害が発生することがある。新潟地震では昭和大橋の桁が将棋倒しのように落下したり、県営住宅が転倒したりした。
その後の調査で地盤の液状化が原因と言うことが分かり、現在では液状化防止や落橋防止の対策がなされ、安全性が増した。

 このように地震対策は進歩しているが、自然現象は複雑なので完璧な対策は無い。
次善の策として、壊れたときの被害軽減策が必要である。

0m地帯は、延々と続く堤防で守られているのに、それでは不安ですね?

 台地にある堤防ならば、一箇所くらい壊れても、次の台風時期までに修理すれば水害を防ぐことが出来るので、そんなに不安がる必要はありません。

 しかし、0m地帯にある堤防は一箇所でも切れると人の背丈くらいの水深で洪水のように河水が流れ込んできて、大変危険です。

 多くの人が、そのような危険なところに住んでいることを認識していないので、更に大きな被害になると考えられています。

東京湾は津波が少ないので、水害想定の避難訓練は実施されていない。これからは必要でしょうか?

 北海道の奥尻島で多くの人が津波で犠牲になりました。もうじき起こるかもしれない「東南海・南海地震」の被害想定では、死者の総数20,500人の内6割に当たる11,700人が津波による死者です。最も恐ろしい津波を避けるため津波避難訓練が計画されています。大きな津波の第一波の到達は、震源に近いところでも発災から20分後なので、避難訓練により犠牲を最小限に抑えることが出来ます。

 しかし0m地帯では、発災直後の破堤により、河水がどっと侵入してくるので避難する時間的余裕がありません。

延々と続く堤防は何処かで壊れる可能性があり、その時は避難する余裕が無いと言う八方塞がりの状態から抜け出す道は無いのですか?

 自然現象に力で対抗する方法では限界があります。地震時に堤防・護岸が壊れる事を受け入れて、その時でも河水が陸地に流れ込まないようにすれば、安心して避難することが出来ます。

堤防が壊れても河水が侵入しない魔法のような方法が本当にあるのですか?

 それが本当にあるのです。東京では江戸時代以降多くの震災記録が残されています。その中に地震時の水害記録はありません。それは何故でしょうか?それは人々が住んでいるところの地盤高はAP.+2mより高いからです。当時はそれより低いところには住めないからです。0m地帯はオランダの干拓地域のようにして出来たのではなく、元は満潮面より高い地域でした。工場用水の汲み上げによる地盤沈下で0m地域になったのです。

 従って、地盤沈下する前の地盤まで盛り土すれば、一辺に解決されます。

地盤沈下した分を取り戻せば良いのですね。東京では残土が余って四国まで運んでいると聞きましたが、その土で盛土して下さい。

 盛土するためには、建物を一度移転させなくてはなりませんので、多くの人が生活している0m地帯全体を盛土する事は不可能に近い話です。

 そこで考え出されたのが、堤防沿いだけ幅広く盛土して堤防が壊れても河水が侵入しないようにする方法です。これをスーパー堤防と言います。この方法ならば限られた地域の盛土で済みますから、今すぐでも出来ます。

スーパー堤防が早くできると安心できますね。

 私たちは0m地帯の人が安心して暮らせるように、スーパー堤防の建設に向けて努力しています。

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■ 東京東部低地帯とスーパー堤防

東京東部の低地帯の概要

①東京の東部低地帯には245万人を超える人々が生活しています。
 (このうち、荒川と江戸川に囲まれた地域には半分の120万人が暮らしています。)
 東部低地帯は下の図の斜線と網掛けの地域です。

②東京の低地帯の内、荒川と江戸川に囲まれた地域には120万の人達が暮らしています。東部低地帯の地盤の高さは下の図のようになっています。
 濃い赤色の部分が0メートル地帯で、濃いピンク色満潮面以下の地域です。


(東京都建設局河川部発行パンフレット「低地帯の地盤高平面図」より引用)

③ 当NPOがスーパー堤防事業推進を提案している荒川以東の地域を地盤高によって分けると次の3ブロックになります。 先ず「荒川」と「中川」・「新中川」に囲まれた地域(Aゾーン)、次に「綾瀬川」と「中川」に囲まれた地域(Bゾーン)、それに「新中川」・「中川」と「江戸川」に囲まれた地域(Cゾーン)に分ける事が出来ます。

東部低地帯ブロック図
東部低地帯ブロック図

④ 各ゾーンの特徴は次の通りです。

  • Aゾーン・・・約4割の面積が干潮面(A.P.±0m)以下で、平常の水位で堤防が無ければ、潮干狩りの出来る地域
  • Bゾーン・・・大半の面積が満潮面(A.P.+2.0m)以下で、平常の水位で、満潮になると水没してしまう地域
  • Cゾーン・・・大部分が満潮面以上で、平常時には浸水の心配はないが、高潮・津波または洪水などの異常水位時(A.P.+5.0m以下)のみ、地盤が水位より低く、危険にさらされる地域
荒川以東のスーパー堤防事業の優先順位について

 スーパー堤防は、地震や津波および洪水などの水害から守る治水機能、舟運などの利水機能、堤防の公園化などの親水機能、スーパー堤防と街づくりを一体施行する機能等々多くのメリットを上げることが出来ます。しかしながら、スーパー堤防建設の優先順位は、地盤が低く、水害ポテンシャルの高い東部低地帯においては、何よりも治水機能を第一に考えるべきであります。
 したがって、当地域ではA、B,Cゾーンの順に建設していくのが理にかなっています。

遅れている荒川以東のスーパー堤防の整備

 荒川以東のスーパー堤防の整備は、荒川以西(隅田川など)と比べて、甚だしく遅れています。

スーパー堤防実施箇所・予定箇所
スーパー堤防実施箇所・予定箇所

優先順位(緊急度)の高いAゾーン中川左岸

⑤ 以上の理由により、スーパー堤防を急いで作る必要のある地域は、干潮面より低いA ゾーンの中川左岸です。Aゾーン地域を拡大した図を下に示します。

Aゾーン拡大図
Aゾーン拡大図

⑥ Aゾーン西側に位置している「中川左岸」(上平井水門より下流)一帯の堤内地(民地側)は今、下の写真のようになっています。

中川・JR総武線橋梁から上平井水門方向(右側がその町並み)を写した写真
中川・JR総武線橋梁から上平井水門方向(右側がその町並み)を写した写真

⑦ また、高さは下の絵のようになっています。


(東京都建設局河川部発行パンフレット
「地盤高概念図」荒川から新中川区間を拡大)

⑧さらに、荒川堤と中川左岸堤の高さ、そして中川左岸の堤内地地盤の高さは下の写真(水面模式図)のようになっています。

⑨また、中川沿いの江戸川区松島地区の町並みは今、下の写真のようになっています。
このように、中川左岸一体は普段、堤防がなければ水の底に沈んでしまう街なのです。
堤防によって私たちは毎日を、安心して安全に住み続けられているといえます。
しかし、堤防は何時、大きな地震や台風によって沈下したり、壊れたりするか分かりません。

荒川河口付近から江戸川区松島付近を移した写真
荒川河口付近から江戸川区松島付近を移した写真

地震により堤防が沈下した事例

⑩東京東部低地帯は高い堤防によって、通常は守られていますが、堤防本体は軟弱地盤の上に盛られた土の堤防(表面はコンクリートブロックによって被覆されている) です。
 従って、大地震の場合は堤防の基礎地盤や本体が液状化して沈下する恐れがあります。
平成7年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)では、淀川の堤防が大きく沈下しました。

 

地震によって破壊され沈下した淀川の堤防
地震によって破壊され沈下した淀川の堤防

過去の水害など

⑪ここで、昭和から平成にかけて発生した地震時の津波および台風時の高潮によって堤防が破壊し、発生した被害を写真で振り返ってみます。

昭和8年(1933年) 三陸地震津波
昭和21年(1946年) 南海地震
昭和22年(1947年) カスリーン台風
昭和34年(1959年) 伊勢湾台風
昭和39年(1964年) 新潟地震
平成7年(1995年) 兵庫県南部地震(前掲)
平成15年(2003年) 宮城北部地震
平成16年(2004年) 新潟県中越地震

 このような自然の猛威がもし中川左岸一帯をおそったとしたら、その被害は想像を超えるものがあります。

最近完成したスーパー堤防と新しい街

⑫そこで私たちが、川からの脅威に対し安全で、安心して住み続けられるようにするには、街全体を高くしてそこに丈夫で高い建物を建て、道路、公園を整備する必要があります。
 すでに、全国各地の川沿いで地盤の低い地域一帯が、スーパー堤防と近代的な新しい街に生まれ変わっている例が数多くあります。

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