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「ア!安全・快適街づくり」のめざすもの

熱意と知見のスパイラルアップ

地域が抱える難問を解決する

[語り手]石川 金治氏
フェロー会員
特定非営利活動(NPO)法人「ア!安全・快適街づくり」理事長
[聞き手]三浦 良平 南 浩輔 元編集委員
(取材日:2012年5月13日)

地元とゆっくり話を進めるシステムが必要

――まず始めに、NPOの活動について教えてください。

石川

 最近10年は、東京のゼロメートル地域で破堤といつ想定外の事態になつても、命だけは助かる道を、新小岩駅周辺の住民とともに研究しています。

――なぜそのような活動をされているのですか。

石川

 現役時代に東京都の職員として、下町の河川整備事業に携わっていました。ある時、夜中の満潮時に閉鎖中の水門が突然開くという事故がありました宿直職員が水門をすぐ閉めたのですが700世帯が床上浸水するという事態になってしまいました。この事故の教訓として、たとえ地震で堤防が壊れても浸水被害が発生しない特別規格の堤防にすべきだと気づき、東京都が管理している隅田川でも直立のコンクリート護岸から緩傾斜堤防につくり替える提案をしました。1974(昭和49)年当時は、伊勢湾台風級に耐える緊急性の局い直立護岸を整備中で、を完成率が50%くらいの時ですから、「この堤防は地震に弱いから将来は緩傾斜堤防にする」といつ提案は職場内でも反対の声がありました。しかし、沿川の再開発が始まろうとしているこの好機を逃したら、未来永劫日の目を見ることもないと考え必死に説得しました。これが功を奏し、その後の沿川の再開発では緑の多い緩傾斜堤防を進んで取り入れるようになったのです。
 隅田川では整備が進みましたが、まだ安全度の確保が十分ではない地域がたくさんあります。それらの地域で対策を進めるためには、地元とゆっくり話を進めるシステムづくりが必要だと考えるようになり、それを担うことが、今で言う『新しい公共』だと退職する時に感じ、NPOを立ち上げました。

――石川さんの活動は、河川管理者や地元行政が取り組むべき仕事だと思うのですが、NPOとしての活動の意義はなんでしょうか。

石川

 30年とか50年後のまちのあるべき姿を市民と共有して計画を立てるのが行政の本来の姿だと思うのですが、最近は事業費の裏付けがまったくない中で地元に入るのは難しい状況にあります。しかし、NPOならば予算措置とは無関係に、地元住民に対し「この地域で必要なものはこれこれですよ」とあるべき論を言えます。行政に代わって事前にNPOが露払いをしているとも言えます。

手柄を求めず有益な隣人を目指す

――すぐには対策が進まない難しいテーマだと思うのですが、活動を開始する際に心配や悩みはなかったですか。

石川

 隅田川の下流部は都心に近いので沿川部で再開発が行われ、緩傾斜堤防が採用されています。一方、荒川以東は戸建て住宅が立ち並び再開発になじまない地域であるため、緩傾斜堤防は皆無であり、地域安全度に大きな格差がある。この格差を埋めることに使命感を感じて立ち上げたNPOなので、長期間かかるのは覚悟して始めました。NPOは、住民とともに考えるという大回りの道を歩いているように見えますが、住民と真っ向勝負する行政よりはわれわれがやった方が早くできるはずだと思っていましたし、現に今では住民側から早く洪水時でも安全な高台をつくってほしいという要望が出てきています。地域の人びとも、安全に逃げられる場所が足りないといつことがわかってきたからです。

――活動を始めるにあたり最初に力を入れて取り組んだことはなんですか。

石川

 私は横浜に住んでいますから、最初は「どこの馬の骨」が来たのかといつ感じでした。すぐに隣組に入れてもらえないのは当然であり、そういう認識を持って入っていくべきです。「この組織が住民にとって有益な隣人である」ことを理解してもらう努力が必要です。
 最初は過去の浸水深をポールに示した「水位表示板」を設置することを提案しました。しかし、地価が下がるとか、恥ずかしくて会社に行っても言えないなど反対意見ばかりでした。そんな中で町会長さんが「横浜から来て一生懸命説明してくれているんだから1本くらい建てさせてやれよ」と言ってくれたことがきっかけでようやく実現しました(写真1)。するとすぐにうちの商店街にも建ててみたいと広まっていきました。でもNPOにはお金がないし、行政ならばポール型の1割の経費でできる電柱への巻きつけが可能なので、われわれが区に働きかけて陳情の受け皿をつくってもらい、住民から区に陳情することにしました。区にとっても地元説明などをせずに啓発の施策が行えるのですから、メリットを感じたのだと思います。これは葛飾区だけではなく江戸川区まで広がっていきました。



写真1 ようやく実現した最初の水位表示用ポール

 また、活動初期の取組みとして、水辺と自宅玄関先の気温差を測定するイベントも河川に関心を持ってもらう良い機会となりました。子どもたちが楽しんでできる内容にして、祖父母や親の世代もかかわりを持ってもらう工夫でした。
 ボートによる避難訓練もやりました(写真2)。昔はどこの農家にも軒先に船を吊るしていました。それだけ河川氾濫があった裏返しでもあります。葛飾区のハザードマップに示されている10km離れた隣接県の避難指定所までピクニックをするという企画もやりました。
 このような認知作戦を通して住民に認知してもらえるようになったのだと思います。


写真2 ボートによる避難訓練(葛西臨海公園にて)

住民が自発的に活動できるよう寄り添う

――市民は長期間参加していくうちに興味や関心が薄れ、参加者が少なくなっていくのが一般的ですが、石川理事長の活動を見ているとそのような傾向は見られません。どうしてでしょうか。

石川

 活動を始める時の覚悟でもあつたのですが、2~3年で終わってしまつては協力してくれた人たちに対し「はしごはずし」になるので、長期で取り組もうと強く認識していました。
 そこで一番大事なことは、住民の負担感や義務感をなくすことだと考え、ご近所の人と楽しく語り合える場にしようと努めました。
 その上でマンネリにならないために、話し合いの内容やイベントを常に新しくする工夫が必要です。これが結構大変なんですが、思いつくことは大抵やってきているので、走りながらでないと新しい企画は探し出せないと感じています。たとえば最近は、町会には若人が少ないので学校と連携できないかと考え、校長先生に「釜石の奇跡」の話をしています。あれは奇跡ではなくやるべきことをやったから全児童・生徒が助かったのであり、子どもたちへの防災教育は大事だと。
 さらに、NPOや支援メンバーは一歩引いて、住民がリーダーとなって企画・運営する雰囲気をつくることに注力しています。最初のうちはイベントに参加するのが面白いでしょうが、NPOが企画したイベントなのでやらされているという雰囲気が徐々に生じてきます。そうならないよう、次の会議までにこんな宿題を検討してみようといつ自発的な議論の場になれば長続きします。
 それから、活動を停滞させないことです。われわれが住民を巻き込んで継続的に活動するためには、都市再生モデル調査事業などの活動資金が必要で、こういった助成金を切らさないようにすることが重要になってきます。予算は1年ですが、報告書を書いて成果を発表するなどで1回の助成で2年間は活動できます。全メンバー無報酬のわれわれでも活動資金の確保が厳しい状況です。NPOはどの団体も厳しい運営状況と聞いていますから、財政基盤確立に向けた支援があつて欲しいと強く願っています。活動資金が切れて1年間活動を休むようなことになると信頼は薄れ、回復にすごいエネルギーがいるようになります。

――学識経験者も積極的に参加されているようですね。

石川

 NPOと地元の間に信頼関係ができてきた頃、水害の脅威について抽象論ではなく具体的な被害状況を示すことが必要と感じるようになつてきました。NPOにはお金がないので、われわれと同じような使命感を持っている人にボランティアで計算してくれる人を探し始めました。そんな折、市街地における火災の延焼リスクについて研究している東京大学の加藤孝明先生の講演を聞いて「この人ならば!」と一目ぼれしお声掛けしました。幸いわれわれの活動に賛同いただき、加藤先生の研究とかかわりの深いメンバーや大学院生も協力してくれるようになっていきました。
 先ほど活動継続の秘訣をお話ししましたが、加藤先生をはじめとする若い研究者や大学院生と一緒にワークショップをするようになってから、住民が自分たちで問題を発見し解決策を見出す作業をするようになり、住民の自主性が高くなりました(写真3)。


写真3 ワークショップにはいつも多くの市民が参加

行政と一緒に前向きに考える

――葛飾区などの行政との関係は。

石川

 ワークショップに参加している住民から葛飾区の意見を聞きたいという要望があり、最初は必要な時だけ区に参加をお願いしていましたが、協働の事業を行ううちに区も毎回参加するようになっていきました。
 また、関係者を一堂に集めて勉強する場のセットは、われわれNPOにしかできないと思います。住民と国、都、区がそれぞれ個別に向き合う機会はこれまでもあるのですが、一堂に集まって水害対策の内容が固まっていない施策について勉強する機会はありませんでした(写真4)。葛飾区と相談して区が国や都に参加を働きかけるといつ手法をとるなど、各行政機関が業務として参加しやすい環境を地元市区町村と一緒につくっていくということも大事です。葛飾区の都市マスタープランに「川沿いに高台を整備する」といつ内容が盛り込まれたのも、区が地元に入ってその必要性について地域で議論してきた結果です。  葛飾区が作成した避難方法は隣接県の指定避難所まで逃げることですが、かなりの距離があるので鉄道を使って実践もしてみました。駅前広場が狭く何万人もの避難行動をする際には支障になることや、切符も券売機が少ないのでなかなか買えない状況になります。振替切符もたくさんは用意していないことが判明し、ここに要援護者が混じれば大変なことになります。こういった検証をNPOが行い、ただ文句を言うだけではなく行政と一緒に前向きに考えることもわれわれの役割です。


写真4 シンポジウムの様子

――土木業界や土木技術者に対して提案や助言はありますか。

石川

 財政難で事業費がないことを理由にして、委縮し過ぎではないかなと感じています。サイレンマジョリティばかりで賛成意見を言ってくれる人がいないと嘆くのではなく、じっくりと時間をかけて賛成の声を拾い上げる努力をする機会ととらえるべきです。お金のない時だからこそ、将来について地元とよく話をするなどやるべき仕事をやって、技術者の生きがいにすべきです。そして、生涯をかけてやり遂げたい夢を持ち続けることです。夢を描くことは簡単ですが、その実現に向けてどんな困難に遭遇しても諦めない「忍耐力」と「精神力」を鍛えることです。新しいとをやろうと思うと「守旧派」が立ちはだかるので、無理することなくその壁を乗り越えるノウハウも磨くことです。

石川 金治(いしかわ・きんじ)

1958年名古屋工業大学土木工学科卒、同年東京都に入庁し、新中川開削・高潮堤の計画等下町の河川事業に従事、1974年ゼロメートル地域の河川堤防の緩傾斜堤防化を提案、1994年都技監を最後に東京都退職、2002年から現職、趣味は書道(毎日書道展会員)。

※ 土木学会誌vo 97 NO.10 0ctober2012より転載

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