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講座・講演会の記録

松上小学校6年生特別授業「寺島講師」(2018/3/10)

 
葛飾区立松上小学校6年生特別授業「寺島講師」(葛飾教育の日)報告
平成29年度(上期)葛飾区地域活動団体助成事業
 
 テーマ: 新小岩のまちの歩みと水害の歴史を学ぶ
 日時:  平成30年3月10日(土) 午前9:45~10:30
 場所:  松上小学校体育館
 対象:  第6学年生69名、先生3名、保護者他8名
 講師:  荒川学会員 寺島 玄先生
 
<報告内容>
暖房のない体育館に、元気な生徒達が入って来、パイプ椅子を拡げ着席するとなんとなく暖かな空気に包まれやがて、授業が始まった。司会の白木先生が、「今日は新小岩の町について、新しい発見や出会いがあると思います。楽しみにして下さい。」と挨拶し、寺島講師へ繋いだ。
 
講師は、「私は昭和33年から50年間、上平井に住み、今は宇都宮にいます。ここ10年ほど、葛飾区の区民大学で葛飾学を担当し、そこではお爺ちゃんお婆ちゃんが主ですので、皆さんのような若い生徒を前に少し緊張しています。上平井小・同中学校、両国高校を卒業して川向こうの大学生の時に彼女から、『川から東は行きたくないからお付き合いしない。』と言われ、社会人になって20年してから、ちょっと待てよ。葛飾は『寅さん.こち亀』だけでは無いぞ。捨てたものじゃ無いぞと思うようになりました。皆さんが将来他所や外国へ行った時、『葛飾の出です。』だけでは淋しい。今日はキーワードを繫げて帰って下さい。普段授業で黒板をノートに書いているだけでは覚えられません。担任の先生のお話や、黒板の字は自分で分かるよう簡単にメモし、家できちんと整理して下さい。新小岩には大事なキーワードが4つあります。荒川、駅と工場、カスリーンそして1970年です。」と言うと、生徒から、「カスリーですか?」と聞く声があがり、「いえ、カスリーンです。」と重ねて言った。
 
スクリーンは、とある神社の鳥居を写し、「この神社を分かりますか?」と聞くと、何名かが「はい!」と元気な声が返って来た。「この神社は、間栗公園の通りを北に入った所にある『銭亀神社』です。昔この辺りは湿地帯で、難破した漂流船が流れ着き、船には人は居らず千両箱だけが残っていました。村は貧しかったが、この千両箱のお陰で貧乏でなくなり、村人はお礼に神社を建てました。
 
次の画面は昔の古い新小岩の地図で、荒川や駅は無く、西井堀と田んぼが広がっています。ここの田んぼは、水深が50cmより深いと蓮根を、それより浅いと米を作っていましたが、稲は背が高くびっくり、次に私は時々温泉に行くと地元の人達が湯に漬かりながら、『今年は90や。いや80だっぺ。』と話し合っていましたが稲の実りのことでした。新小岩の稲は実りが少なくてびっくり、そして三度目のびっくりは?」と質問して返って来た答えが、「美味しくない!」講師は、「残念、中身がすかすかで、欠けていてびっくりです。ところが三度びっくりのイネを逆に良い所と考え、この絵のような物に変えて毎年売り出しました。これは何かな?」の質問に即、「シメナワ!」と答え、続く甕の画面では、「これは分からないだろうな。」と生徒の反応を窺い、「この甕に麩海苔が入っています。夏場は農家の手が空き、じめじめした土地に生えているヨシ・アシを原料にした麩海苔作りが盛んで、昭和初期の新小岩北地区は日本の90%を作っていました。ヨシ・アシは、盛りそばのすだれにもしますね。」
 
 
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次に、関東大震災後の荒川が出来た頃の地図を示し、「新小岩は当時都市計画で工業地帯に指定されました。一方、荒川を掘ると何が出ますか?」との問いに「土!」と生徒が答え、「そうですね。掘った土を横で埋立て造成し、やがて工場や駅が出来ました。
 
駅は、1928年(昭和3年)で、1932年(昭和7年)南葛飾郡が葛飾区と変わり、病院や行政サービスが行き届くようになり、水道料金がそれまでの60%になるとやがて大工場が建ち出し、町が出来ました。皆さんは、『小保方さん』を知っていますか?」と聞くと、「IPS細胞です。」と答える生徒がいた。スクリーンに、理研鋼材の工場群と「B29」を映し出し、「当時、日本には高度12,000mを飛行する『B29』と戦える飛行機は有りませんでしたが、ただ理研鋼材の工場だけは、氷点下50℃でもB29を撃ち落とせる戦闘機『キ94』の部品や翼を作っていました。B29は暖房の効くコックピッド付き爆撃機、日本は暖房も効かない酸素マスクだけの戦闘機2機を完成させました。今日は東京大空襲があった日で、この地で飛行機を作っていたことを知って下さい。
 
さて、欧米では兵隊さんが戦地に行く際、親しい人に象牙のグリーディングカードを送る習慣がありますが、第二次大戦頃から象牙の代わりにセルロイドを使うようになり、新小岩はセルロイドの生産と『キューピー人形』が盛んに作られ輸出されました。」
 
講師は、「そして今、葛飾はタカラトミー、モンチッチの関口などの玩具メーカーが金型作りから袋詰めまで、横のネットワークを使って絆を深めています。」新小岩に住み慣れている生徒達も初めて見聞きすることばかりだったためか、興味深く食い入るように講師の話と画面に引き込まれていた。
 
続けて、「1947年カスリーン台風が関東地方を襲い、夜中に新小岩は1時間に8~10㎝水嵩が増え、この辺も水の深さが2.10mにもなり、木造建築の上平井小学校へは約1,600人が逃げて来ました。また、昼間はカンカン照りで瓦屋根の上で生活している人達は暑くて大変でした。しかも水が引くのに3週間かかりました。この間、日本赤十字を始め多くの人が色々な物を運び助けてくれましたが、どうやって来ましたか?」との質問に、「車です。」講師は、「普段は車でも、水害の時でしたから船で運んで来たんです。でも動力がない船は潮の流れで自由が利かず、USAのGHQが持っていた鉄製の船がパンなどを配っていました。」
 
当時水に流され、カメラも絵具もない中で、地元の若者が鉛筆で写生した水で流される橋を映し出し、「この橋は平和橋ですが、知っている人?」と聞くと多くの生徒が知っていた。次に船で運んでいる絵や家の中で作業する人の絵その他を写し、「この船は何を運んでいますか?又、何の作業をしていますか?」との問いに、生徒達は直ぐに答えられなかったので、「船で水を運んでいます。水は何よりも大切で、人々は水を貰うため、大変な苦労をしました。家で作業している絵は、家財道具を屋根裏に運び上げている人です。次の絵は屋根から夜の月を眺める人それに小学校へ逃げて来る人達の絵です。このようにカスリーン台風ではみんな苦労をしました。
 
このような時に必要なのは何でしょうか?」との質問に、「船です。」との声が上がり、講師は、「そうです。でももっと大事で必要なのは、お互いのネットワークが大切なんです。このため、東新小岩七丁目町会ではボート訓練をしています。」と言って訓練の様子を画面で紹介した。
 
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次に講師は、「この写真は新小岩が工場地帯だった頃ですが、戦後工場では、何を作っていましたか?」の質問に答えが無く、「実は戦闘機の後、鍋・釜・やかん類を作っていました。
そして、工場に通う人が増え1944年(昭和19年)新小岩駅に北口が完成しました。でも戦争が激しくなって焼夷弾が落とされたりしました。この時も地域の人達はバケツリレーで繋がりを深めました。最後に1970年(昭和45年)万国博覧会が大阪で開かれ、アメリカ館・ソ連館は人気で入れなかった記憶があります。またこの年、公害防止条例が施行されました。新小岩は東京駅まで13分、成田やディズニーランドにも近く、外国の人達にとっても便利で、その上、ネットワーク作り、誰とでも付き合える良さが君達にはあります。例えば、俳優で歌手の中村雅俊さんはこの二つをコラボレーションして売れています。
皆さんもこのように良い所を結びつけたり、弱点を逆に強みに変えて下さい。併せて町の歴史を調べてみて下さい。これで私の話を終わります。」と結んだ。
 
司会の白木先生は、「皆さん!メモはしましたか?講師の先生が言われたように普段黒板や今日のメモのように、書いた物を家で見直しして記憶に留めて欲しい。例えば、セルロイドとか横の繋がり或いは、今ちょっと思い出しましたがジョンレ・ノンが言った言葉『人は何かがあるはずだ。何か光るものがある筈だ。』では、これで終わります。』生徒は静かに体育館を後にした。
 
最後に、本特別授業実施に当たり、渋谷校長先生、青山副校長先生、白木主任先生に大変お世話になりました。本当に有難う御座いました。
 
 
 
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